まえがきのまえがき

このHPで『言葉の果ての写真家たち』(青弓社刊)から原稿の一部を抜粋し、本書を紹介する前に、この本が刊行されるまでの経緯について書いてみたいと思います。

まず、私が写真について文章を書くことになったのは、偶然でありました。

初めて写真もしくは写真家を主題にして書いた文章は、『言葉の果ての写真家たち』にも収録されている、新倉孝雄さんについて書いた「刹那と邂逅する傍観者」になります。この原稿は元々、新倉さんへ宛てた手紙でした。新倉さんが自著『私の写真術 コンポラ写真ってなに?』(青弓社)が刊行され、その出版記念パーティーの案内を送っていただきました。ですが、その日程と都合があわず、返信用のハガキに記載された「欠席」の文字に丸を囲み、投函しました。

しかし、このままでは気持ちが落ち着かなかったので、『私の写真術』を購入し、読み終えると、新倉さんへ出席できなかったことへのお詫びと、本の感想をしたためました。結果、400字詰め原稿用紙にして40枚程度の文字量になってしまいました。自分でもまさか、ここまで書くとは思っていなかったのですが、書いていくうちに文字が増えていった、というのが振り返っての実感です。

こんなに長い手紙になってしまい、新倉さんは迷惑に思わないだろうかと、気になりましたが、自分で持っていても仕方ないので、迷惑に思われてもいいや、という気持ちで送りました。後日、新倉さんからお礼のお手紙とポストカードをいただき、逆に恐縮する次第でした。

私と新倉さんの出会いは、私が新倉さんの写真展の案内ハガキを作ったことがはじまりになります。多分、2002年頃だと記憶します。現在は新宿一丁目にあるギャラリー・PLACE Mがまだ四谷四丁目にある頃で、蒼穹舎がギャラリー内に併設(というか入っていた)されていた頃のことです。展示された写真は新倉さんの写真集『NEW YORK』が刊行されたタイミングということもあり、同書に掲載された写真から構成されていました。並べたのは蒼穹舎の大田通貴さん。このときのことは妙に覚えています。

そうした縁から新倉さんと面識を持つようになったわけですが、この手紙をきっかけにして、親しくさせていただくようになりました。

しばらくして、この手紙をこのままにしておくが、もったいないような気になってきました。文体を直し、最後を書き足して、ブックデザイナー・鈴木一誌さんの事務所へ送りました。なぜ鈴木デザイン事務所に送ったかというと、当時、写真の会の事務局としての窓口も兼ねていたからです。

鈴木一誌さんとは、私が参加していた瀬戸正人さんの写真ワークショップでゲストとして参加したときに面識を得ました。デザイナーを目指していた私は、鈴木さんにお願いして、少しだけ事務所でお手伝いをしたことがありましたが、あえなく挫折。その以来連絡をしていませんでした。これを機に、不在の非を伝えることも含め、新倉さん宛の手紙を書き直し、送りました。

結果、この手紙は「刹那と邂逅する傍観者」という(やや)仰々しいタイトルをつけて、写真の会会報58号に掲載されることになりました。あわせて、新倉孝雄さんのロングインタビューも掲載され、その取材の場にも立ち会うことになります。その時、同席された方が、当時会員でやはりブックデザイナーの伊勢功治さんであり、のちに『言葉の果ての写真家たち』を刊行するにあたり、協力していただくことになるわけです。

会報58号が発行されたのは2006年3月。すでに11年前のことになります。